私達の夫婦関係について

地球上でまったく他人であった男女が何かしらのキッカケで、
心を通わすようになり、生活も共にするようになる。

これが夫婦の関係ですね。

この定義で面白い、というか特徴的なのは、
夫婦といえども結局は他人、というところです。

夫婦間の争いなどが起きた時に、巷でよく人の口にのぼる、
「夫婦っていってもまあ結局のトコ他人だからね」
というアレです。

たしかに、結婚をしたとしても、戸籍はひとつになるかもしれませんが、
それぞれは違った場所で生まれ、違った環境で育ち、
両親も家系もまったく違うものです。

しかしだからといって、
夫婦の間でなにかしらの問題が発生した時に、
「所詮他人だから解り合えることはない・・・」といってしまうのも、
考えてみたら、ちょっと無責任のような気もします。

なぜならば、では血のつながりがある、
親子・兄弟・親戚はよく解り合えるのか?ということですね。

兄弟や親戚間での遺産相続の争い、
親戚や兄弟間での優劣争いやイガミ合いはよく耳にします。

よく「ヒスパニアンは犯罪ばかり起こす」とか、
「中国人はすぐ人を騙す」とかいったような、
人が人を裁くというか、差別意識というものは、
たやすく人間の心の中に生まれます。

しかし、どの国にも犯罪者はいますし、
どこの国の人間でも間違いは犯します。
人種や国家の問題ではなく「個人」の問題であるはずです。

これは、誰かさんを悪者にすることによって、
自分の位置を確固たるものにした為の行動ではないでしょうか?

「人と争う心」の本質には、こういった心理が潜んでいると思います。

なので、夫婦間で争いを起こす場合も、
お互いが自分を認めてもらいたくて自己主張しています。

ところがお互いに認めてもらいたいと思い、
それを素直にぶつけていれば、争いにならない方が不思議ですね。

しかし物事は多角的にとらえる必要があります。
争いというものは、即止めるべきなのかどうか、という問題です。

人は争いによって成長していく、とも言われています。
兄弟げんかというものがありますが、あれは社会へ出る前の、
人間関係の訓練であると言われています。

本当の他人であれば、なるべく争いは表面化させずに取り繕います。
しかし、夫婦の場合はそもそも他人なのですが、
何でも言い合える仲の他人ですから、
むしろ争いによって夫婦ともに成長していくためにも、
そこそこの争いは必要ではないでしょうか?

またそれが出来るのが夫婦関係というものです。
そしてそれを宣言するのが「結婚式」という儀式なのです。